ギラヴァンツ北九州 雑学的コラム日本にプロサッカーリーグ・Jリーグが誕生した時から以来、北九州にもJリーグチームが出来ないかなと、ギラヴァンツ北九州を側面からお節介にお手伝いをして十数年。wavywebのアタル(管理人)がギラヴァンツ北九州について月2の周期でコラムを書かせていただきます。

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ミスター・ニューウェーブ 17:32

 さて、シーズンが終わると選手の入れ替わりがあります。入ってくる選手がいれば出て行く選手がいます。しかし今年、選手は止めるがギラヴァンツには残る選手がいました。ミスターニューウェーブとファンから親しまれた選手、日高智樹選手です。彼の現役引退がシーズン報告会の日に正式に発表されました。ギラヴァンツでは選手はだいたい長くても4〜5年しか在籍していません。彼は大学から入って8年間ニューウェーブ一筋にプレーをしました。いや働いて来たと言った方が適切かもしれません。言ってみればギラヴァンツに残る唯一の生え抜きの選手だった訳です。それがミスターニューウェーブと言われる所以でしょう。もちろん在籍期間が長かっただけではありません。そもそも彼は中盤のチャンスメーカーであり、自分でゴールも決めるし、またフリーキックで度々ゴールを決めるフリーキックの名手でした。ずっとニューウェーブの中心選手でしたから、ミスターニューウェーブという称号を与えられていたのです。彼の引退が報告されていろいろな人が悲しみ、残念がる人がいました。また彼の功績を称えて本とかの何かの形に残せないか、というチームスタッフの声も聞きました。その話を聞いて彼は本当に愛されていた選手なんだなと感じました。何かの形に残せれば良いのですが、とりあえずこのコラムに私の知りえる日高選手のことを書こうと思います。
 彼の引退を私が知ったのは、最終戦の熊本戦が終わった熊本の会場です。事情通のあるファンからその第一報を聞きました。それも、彼の「最終戦が終わるまでジメジメしたくないので公表としないでくれ」と、クラブへお願いしていたというメッセージ付きでした。既に戦力外選手が発表されていた時期なので、驚きでした。現役引退ですがクラブには残るということも聞きました。彼はまだ30歳ですから、戦力外をクラブから伝えられ引退してクラブ職員に入ることを勧められたのだろうと想像しました。彼の本意ではないだろうと思いました。あと2〜3年はやりたかったんじゃないかと想像します。翌日のシーズン報告会の席で彼に声に掛けました。「勝手に引退決めて、自分で決めたんじゃないだろ。人に決められたんだろ。よそに行ってやれば良かったのに」と言うと、彼は苦い顔して、「いや、それだけの気力がないです」と短く笑いました。彼の口数の少なさは彼の信条でもあります。また違う日に、応援団の忘年会にフラッと彼が現れました。ファンが誘い出したみたいでした。その時も少し話をした。これからどうするか。小野信義みたいにアカデミーで選手育成したらどうと言うと、「それもいいですね。でも僕は社長になります。」と惚けたことを言いました。気のきいた冗談が似合わない人間でもあります。
 さて、最近の話はこんなところですが、彼と初めて知り合いになったのは5年前です。私は昔からいろいろとチームの広報関係をボランティア活動していたのですが、チャチャタウンでニューウェーブのイベントを私が企画した時、ニューウェーブ事務局から担当として送り込まれてきたのが、日高くんでした。彼はそのころ事務局の職員をしながら選手をやっていたのです。そこで名刺交換をして、イベントの打合せをした訳です。たどたどしい感じで社会慣れしていない若者でした。しかし、彼は実直に真面目にイベントに取り組んでくれました。選手ではなくイベントの担当として働いてくれました。私はこの時に彼と知り合いになった訳ですが、前々から彼のことは知っていました。たぶん2003年のことです。ニューウェーブが九州リーグの下から3番目ぐらいをうろうろしていた頃です。毎回地元である試合は見に行っていましたが、チーム自体は応援していましたが選手一人々々にまでは目が行ってなかった頃です。そのころラモス瑠偉が沖縄かりゆしの総監督をしていて、与那城ジョージ氏が監督をしていました。本城に敵方として現れていたかりゆしに興味津々で見ていました。ニューウェーブは若い選手が主でアマチュアでした。おおかた劣勢の試合をしていましたが、中盤でゲームメークをしている選手が居るなと思っていたのですが、ある試合で、やはり劣勢の試合でしたが、突然、右サイドから大きくセンタリングがゴールのアウトサイドまでライナーで飛んで、そこに体ごと飛び込んで来て頭でゴールを決めた選手が居ました。それが日高智樹でした。ほう、ニューウェーブにもいい選手が居るなと思ったものです。まだ、福岡教育大学から来て一年目の頃だと思います。それから、それが日高という名の選手だと分かったのは、ある地上波の地方放送のテレビで、北九州からJリーグめざすチームの特集というのがあって、一人の選手が紹介されました。ゼンリンで住宅地図の調査員をしながらサッカー選手を続ける日高選手の映像でした。その時、日高という選手の名前を認識しました。彼の印象は体は小さいがテクニシャンです。ほんとうにうまい選手だと思います。いろんな選手がニューウェーブを出入りして行きましたが、ご存知のように日高くんは一貫してチームで頑張り、一時はキャプテンを務めてきました。そして5年前、チームにJでの経験のあるプロ選手たちが加入します。桑原選手を筆頭にプロ意識注入がチームに起きたのです。日高くんもあの時、意識が変化したと言ってました。あの時、プロ選手への夢を彼は現実のものとして目標を持ったのではないでしょうか。そしてこのチームと共にJリーグに行くことを目標にした。JFL時代、彼はチームとプロ契約しています。ジョージ監督の下、彼はプロ選手でした。ちゃんとしたプロ選手になっていました。そのころ、私がプロデュースしていたケーブルテレビの「サポーターズTV」に2度、彼はゲスト出演してくれました。私は番組をなるべく楽しく演出したいと考えていましたので、本番前に彼に、MCの舞ちゃんからオープニングのところで「この番組見てくれてますか?」って聞かれるから、「久保山(舞)さんのファンなので毎回見てます」って言ってくれ。と頼んだのですが、彼は「疲れますから」とやんわり断りを言いました。ところが、リハーサルでは「時々見てます」と言っていたのに本番では「久保山のファンなので毎回見てます」と言ったのです。その上「いつも可愛いなと思ってみています」と付け加えたのです。おかげて楽しいシーンが撮れました。やる時はやるじゃないか、一皮むけたなと思いました。その後、彼はJFLの試合でMIOびわこ草津戦と三菱水島FC戦で貴重なゴールをフリーキックで決めるのです。それも佐野裕哉が蹴ろうとしているところを割り込んで蹴ってゴールを決めるのです。彼に自分のプレーで見て欲しいところはと聞くと「守備とパスです」と言っていたものですが、意識の変化が起きていたのでしょう。ニューウェーブに日高ありと印象付けます。フリーキックにより。
 その後、ジョージ監督に先発で使われ続けますが、左サイドバッグで使われはじめます。ある時、「この前、サイドバックやってたね」と言うと、「ハイ、突然ですよ。初めてですよ」とちょっと戸惑っていること、また自分のポジションじゃないというのが汲み取れる嫌気な表情に見えました。私もサイドバックでは彼の良さを出せないだろうと思います。しかし、彼は与えられたポジションを必死で勤めていました。昨年、Jリーグ昇格を決めた時の放心状態で何も考えられないですね。というインタビューが思い浮かべられます。その短い記者会見のインタビュー映像をここに載せます。こういう経験を出来る選手も数少ないのではないでしょうか。彼は応援パーティーや報告会パーティーでよく私のところに来て挨拶に来てくれます。昨年の昇格パーティーの時も来てくれました。その時、退団した森本選手のことを気遣っていました。歳が近かったのでチームの中でも仲が良かったようです。しかし、プロの厳しさ、そして森本は運が悪かったと気遣っていました。怪我のことを行っていたのでしょうが。たぶん彼もあちこち怪我してたと思います。しかし、それも言わずに試合に出続けていたと思います。私は「プロは結果が全てだから、怪我も言い訳にならんし、守備をよくやったといっても評価されないし、自分でゴールを決めることだよ」と私は日高選手に期待を込めて話しました。そして今年、Jの舞台。日高選手は本来のMFではなく左サイドバックで使われました。小さな体で守備に回され苦しい試合をしていましたが、それでも何とかゴールに絡もうと積極的にゴール前に飛び出している姿を目撃します。彼は彼なりに良く頑張ったと思います。それがファンやスタッフの目には分かるのでしょう。彼の引退を惜しみ、残念がる人が多いです。長くチームで働いてくれた日高選手にもOBRIGADOの言葉を贈りたいと思います。


BY アタル 

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 自分の知り合いに、やっぱりニューウェーブ北九州の頃から応援している人がいます。その方は学校の先生をしているのですが、文科省が作成した、確か「早寝・早起き・朝ごはん」を推奨するチラシになぜか全てのJリーグチームから一人ずつ、選手の紹介がありました。
 で、ギラヴァンツ北九州からは日高。裕哉でも水原でも桑原でもなく、日高。「いやー、Jリーグになるとこんなことがあるんですねー。しかも日高。嬉しかったー。」と、ほんとに嬉しそうでした。

 で、自分としては、日高のプレーで覚えているのは、アタルさんも書いておられますが水島戦でのフリーキック。誰かが「おー!あれ、びわこの時と同じ!」と叫んでいました。
 「あんなフリーキックを2回も見れたなんて羨ましい!」とも思いましたが、どちらもアウェイ。1回だけでも、しかも記憶に残るシーンを見れただけでもよかったのかもしれません。

 来シーズン、少しでも多く記憶に残るシーンが見られるよう、心して臨んでもらいたいと思います。
posted by クロマニ | 2010/12/29 10:52 PM |
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